2012年3月30日金曜日

白鳥事件

1952年1月21日午後7時30分頃、北海道札幌市南6条西16丁目の路上で、札幌市警察の白鳥一雄警部が自転車で帰宅途中、併走した自転車に乗っていた犯人に射殺された。犯人は逃走した。
白鳥警部は同警察警備課長として、当時半ば非合法活動を行っていた日本共産党対策に従事していたことから、当局は共産党関係者を中心に捜査。事実、事件発生の2日後に党北海道地方委員会が「党との関係は何とも言えない。この事件は愛国者の英雄的行為」と関与を匂わせる旨の声明を発している上に、党員が市内で「見よ、天誅遂に下る!」のビラを配っていたことから共産党関係者に疑いの目が向けられていた。ただし、事件直後には党北海道地方委員の村上由が「党と白鳥事件は無関係」と関与を否定する声明を発している。また、ある信用金庫の不正をめぐって白鳥が関与していたことから、その信用金庫の経営陣が殺し屋を差し向けたとの噂もささやかれていた。
事件発生から4ヶ月後に党員の通報により、村上国治党札幌地区委員らが白鳥殺害に関与しているとの情報を得、村上らを逮捕。共犯として逮捕されたTが「1月3日 - 1月4日頃に村上ら7人が集まり、白鳥警部殺害の謀議を為した」と供述した。しかし、村上らを逮捕した後も犯行に使われたピストルは発見できず、事件発生の2年前に幌見峠で射撃訓練をしたピストルの弾のみが唯一の物証として裁判に提出された。直接の実行犯は、当時日本と国交がない中華人民共和国に不法出国し逃亡した。なお、冤罪の可能性について、元隊員は「中核自衛隊が計画を進めていたのは事実」と証言している。

白鳥事件 - Wikipedia

中核自衛隊 - Wikipedia

1952年に札幌市警の警備課長だった白鳥一雄警部(当時36歳)が射殺された「白鳥事件」の実行メンバーで、北京に亡命していた元北海道大生鶴田倫也容疑者が、今月中旬に死亡したとみられることが、関係者らへの取材で分かった。
82歳だった。心臓に持病を抱えており、病死とみられる。ほかのメンバーは既に裁判を終えるか死亡したとされ、事件は60年という節目に事実上終結を迎えた。
鶴田容疑者は実行グループの取りまとめ役で、白鳥警部が射殺される直前まで行動を確認していたとされる。
関係者によると、鶴田容疑者は事件後の55年頃、静岡・焼津港から漁船で北京に亡命。約2か月ほど前から体調不良だったという。
実行メンバーのうち、北京に亡命したのは鶴田容疑者を含む3人で、残る2人は88年に北京の病院で病死したとされている。
白鳥事件の最後の容疑者死亡…亡命先の北京で : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

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